※2013/4/6 1THB = 3.26円 / 10,000LAK = 113円

私のタイ在住歴も5年を超えた昨今なのですが、最初から海外生活に慣れてたわけではありません。
齢70付近の両親は未だに海外への渡航経験はない日本という島国の一般…いや、ちょっと前時代的な家庭で育ったと思ってます。

といっても、高校時代に通っていた英語塾の先生の計らいで冬休みにアメリカに行ったり、一番最初に入社した会社の社員旅行で中国に行ったりはしてたので、全く経験がなかったわけではないんですが、自分の人生に大きく関わることはない世界なんだろうとなんとなく。一言。他人事ですね。

というわけで、10年以上前の記憶を遡りながら、過去のFacebook投稿を漁りつつお送りさせて頂きたいと思います。

6年勤めた会社を辞めた

細かい話はここでは割愛。(もし私の大したことないバックボーンに興味があって、いつかお酒を飲み交わすことがあったら聞いてください。)

雑に言うと栄転決まってたみたいだけど、昔から興味が合ったクリエイティブ職をやりたかったから辞めました。接客業でした。

たった3ヶ月の学生生活

失業保険の期間を伸ばす為というわけではないですが、Webデザイナーの職業訓練校に通いました。国からの補助により授業料は無料。ありがたや。受講期間の平日はJR高田馬場駅へ通う日々。年齢層は私が最年少(当時28歳)からの上は50代までと幅広く。各々のキャリアも幅広く。この場での出会いは正味な話そこまで期待してませんでしたが、まさかのターニングポイント発生。人生何あるかわからず。平たく言えば良い仲間に出会えたということ。

束の間の学生(訓練生が正しい表現か)生活。あっという間の3ヶ月間。カリキュラム修了間際に時期相まってクラスメイトと打ち上げ的にお花見イベント企画立案。開催。大盛況。

そして会の解散間際、仲良くしてくれていた女性のひとり(以下「Y姉さん」という。)がこう言った。

「あたし来週タイ行くけど行く?」

私ともうひとりのクラスメイトの男性(以下「H氏」という。)は、今までそのような経験がなかった故か即答。

「行く!!」

この時点で3人の卒業旅行?が確定した。
後を思い返すと私が今タイに移住しているのはこれが起源なのでしょうね。あざす。

タイ上陸からの即ラオス?へ

※私は上陸時点ではラオスに行くことは伝えられておりません。

旅支度

古い記憶を遡って書いてます。たしか準備したことは…

  • 航空チケットはY姉さんが一旦立て替えて購入してくれた。
  • 3人でお揃いのバックパックを購入した。やたら重かった。
  • 防犯用の腹巻き型ポーチを買った。(旅中に出会ったゲストハウスに長期滞在してる方に「そんなもの外せ」と言われた。最終的に使わなくなった。)
  • 連絡用のLINEのグループ名は「ワクワクインドシナ」。

だったはずです。
旅行プランはY姉さんがすべて考えてくれました。

旅の途中で知りましたが、Y姉さんの旅行ルートは(当初)以下でした。繰り返すが当初。

旅先で出会った方に「(バックパッカー初心者を考慮して)よく考えられてるね。」と褒められていた経路。

タイ バンコク(入国)

羽田空港からスワンナプーム国際空港へ約6時間の旅。ワクワクドキドキ。タイ上陸。

スワンナプーム国際空港直結エアポートリンク(電車)に乗車し一旦バンコク中心部へ。どの駅で降りたのかは忘れました。写真を見ても思い出せず。降りた駅からタクシーで本日の宿泊地に向かうとY姉さんが言ってるので仰せのままに。Y姉さんがタクシー料金の交渉してて「かっけぇな」って思いましたが、今では当たり前のように私もやってますね。成長したな俺。

バックパッカーの聖地カオサン通り付近で1泊。1泊?明日以降は?これからどこ行くんだ?
宿泊先はNAT2というゲストハウス。その筋じゃ有名だそうです。割りかしヒッピー寄りの方が宿泊されてたので、当時その辺に免疫なかった私はカルチャーショックまでは行かないですが(自分の身の回りにはいなかった人種だったので)多少驚いた記憶はあります。(形は傍目怖く見えることもあるけど、話すといい人ばかりでした。ピュアというかなんというか。)

この旅でルームシェアしたH氏は部屋に着いた途端にだらけモード。というかこれから語る旅中は終始こんな感じ。私が世間知らずだった故ですが「駄目な人なんだろうなぁ」とか失礼なことを最初思ってましたが、彼のスタンスが正解ということを学びました。私が至らなかったのでしょう。

3人で食事に行った流れでカオサン通りの裏路地の旅行代理店で長距離バスチケットを購入。目的地まで…乗り継ぎありの17時間!?どこ行くんだ?ラオス?国の名前は聞いたことあるけど、行き先は聞いてないよ。まぁいいや。ここ数年で情報量が1番多かった1日目が終了。

タイ~ラオス国境線

2日目。夜にバンコクから出発。まずはタイとラオスの国境に向かうとのこと。長距離移動時に寝るのがバックパッカーとしての基本だそうです。(少しでも旅を楽しむ為の時間の節約。)会話もそこそこに就寝。最初の目的地に着くのは明朝だそうです。

日が昇る前の時間に国境手前に到着。イミグレーション(入国管理局)が開くまで多少時間があるようです。朝食を済ませ、タイ側のメコン河付近で待機。

たまたま居合わせた日本人のTKちゃん(後で知りましたがお医者さんの卵でした。あれから10年以上経った今では私より立派に生きているのでしょうね。)が本旅の準レギュラーとして加入。しばし同行することに。

イミグレーション開門の時間が来たようです。良心的なプライスの?チップなのか賄賂なのかを渡すとスムーズに通過出来るから係員に渡してとY姉さんが言うので仰せのままに。通過後は再度バスに搭乗しヴィエンチャンへ。
尚、ラオスへは日本国籍のパスポートの場合ビザ免除で15日間滞在出来ます。(ただし、免除で入国した際は現地での滞在延長は不可。)

国境を陸路で渡る

確かに浪漫がありますね。どうやら話を聞いた限りではY姉さんは国境マニアのようです。興奮気味でした。
余談ですが、この旅が終わった後の何かの機会に、Y姉さんの小学校低学年時の作文を見せてもらったことがありまして、そのタイトルは「日付変更線」。その歳で書く内容か?!表現豊かな文章で感銘を受けました。(どうやら親の仕事の都合で幼少期はインドネシアに住んでたようですね。)
加えて、この旅でラオスは5回目とのこと。大好きってことね。了解。

ヴィエンチャン

私が勝手に言っているのか?表現が違うだけで世の共通認識なのか?
どちらかはわかりかねますが、

東南アジアの首都はつまらない説

っていう定説みたいなものがあり、ラオスの首都ヴィエンチャンはその確固たる例かもしれません。(でも、バンコクは楽しいし一概には言えませんかね。)

ね?なんもなさそうな感じを醸し出してますよね?社会主義国の首都ってこんな感じなんですかね?少なくとも私のような素人が楽しめる場所ではなさそうです。
ご当地ビールのBeerLao飲んで一服した後に、Y姉さんのベストプレイスのヴァンヴィエンへ向かうとのことです。ヴィエンチャンからはバスで4時間。ただし曲がり曲がったカーブのある山道。

そこには私が知る由もなかった景色や人が待っていた(煽り)

続く

※次回投稿が本記事の続きとは限りません。了承ください。